人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光から発すること、またこうした人々はその生活と仕事のなかで、ほとんどあらゆる環境のもとで光をともし、その光は地上でかれらに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろうということ -こうした確信が、ここに描かれたプロフィールの概略的な背景をなしている。われわれのように暗さに馴れた目には、かれらのともした光がろうそくの光であったか、それとも燃えるような太陽のそれであったかを語ることはむつかしい。しかし、こうした客観的評価というものは、私にはあとから生まれる人々に無難に残される、二次的な重要性をもつものでしかないように思われる。 引用:ハンナ・アレント 『暗い時代の人々』 1968年1月 ★このハンナ・アレントの云う「暗い時代の人々」とはベルトルト・ブレヒトの詩を受けてのものです。国も時代も異なりますが、この激動の時代を行きた人々の言葉たちが、私の心に響くようです。先に生まれた人々と後から生まれる人々との時間軸の繋がりを尊いと想います。どの時代、どの地においても! ・・・・・ああ、ぼくたちは 友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は 友愛をしめせはしなかった。 ・・・・・思え、ぼくたちを ひろいこころで。 引用:ベルトルト・ブレヒト 「あとから生まれるひとびとに」 訳:野村修 ★今日の肖像★ なんとなく今の気分で、激動のドイツを生きた、ハンナ・アレントとベルトルト・ブレヒトとなりました。 幼い少年少女の死に衝撃を受けています。謎に包まれた悲惨な事件。「なぜ?」があまりにも多い。色んな事を考えさせられるのですが、同時に今日の日本の縮図とも思えドッシリと重い気分です。
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by chouchounoir
| 2015-08-26 20:22
| 好きな言葉たち
此の『ひなぎく摘んで★私の中のわたし』は裏『クララの森・少女愛惜』のような感じになるのでしょうか?徒然なるままに。先のことは分からない。ただ光をもとめて!私の中の私を時には追いつめることになるかもしれない。それでもいい。随分と時を経た今、遅すぎるくらいだもの。 私が初めてブログなるものを開設した最初のデザインを再び使わせて頂くことにしました。なんとなく懐かしく愛おしい。もう結構、沢山の記事を書いているもので、何かのご縁で訪れてくださる方がいてくださる。嬉しい出会いに感謝しています。ありがとうございます。多分、此方ではもっと自分に問いかけながら、今の私の想いを綴る日記あるいは記録のような。 私自身のちっぽけな人生の中で、どうしても忘れることの出来ない色濃く刻まれた風景や瞬間的な記憶の映像があります。今、どうしているのだろうと気になる幾人かの少女たち。同い年だったのに彼女たちは時間が止まったまま、あの頃の少女のままであり続ける。時間に追われる日々の中、閉じたまま置き去りにしているとも云える、私の大切な心の宝石箱も時折開いてみたいと想います。 ★今日の一枚の絵★ その時々の気分で好きな絵画や写真などをお借りしたいと想います。始まりは大好きなラファエル前派から。19世紀末の英国の女流画家であったイーヴリン・ド・モーガンの「フローラ」(1894年)で心涼しく☆
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by chouchounoir
| 2015-08-11 14:21
| 我想う故に我あり
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